「とら、」
「山本」
呼びかけてアレに近寄ろうとする山本の足を、僕は思い切り踏ん付けた。
痛いと言うよりは驚いた目で僕を見るので、「良い子にしてくれ」と口元に人差し指を立てた。
「春兎、打ち消しはできるかね?」
「いや」
「では持っておきたまえ」
そう言って僕は春兎にエウブレウスを渡した。確かボナビランクスも持っていたはずだ。
「灯?」と春兎も驚いた様な顔で僕を見るが、僕は構わずに歩き出そうとすると、
「灯、待ってくれ、どうするつもりだ?」
山本が僕の肩を掴んだ。僕は苛立ちを隠さずに彼を睨みつける。
「どうするもなにも僕のしたいようにするのだよ、山本。
だから君には来て欲しくなかったんだ」
「どういうことだ?灯、何をするんだよ、攻撃…する必要、ない、よな?」
「足止めにしろ生け捕りにしろこのまま大人しく捕まりそうな面をしていると?」
「あれはとらだ、話せば」
「僕は話すつもりはない。君と話をさせるつもりもない!」
「いやいや待ってくれお嬢ちゃん、ちょっとお兄さんに時間くださいよ」
「君に猶予を与えたら暴走されると分かったよ僕は!」
「幼馴染と話すだけだろ?!」
「あれが幼馴染に見えるってのかい?!」
「どういうことだよ?!」
「よく見てみろと…逃げるなっ!!」
うっかり口論を始めてしまった僕と山本をしり目に動き出そうとしたアレに向かって、僕が叫んだのと、アレ自身がぱっと僕たちの方を振り返るのとほぼ同時だった。
「!ボナビランクスっ」
嫌な予感しかしなかったのでとっさに中和効果を発動させる。次の瞬間、うねる火の手が僕たちの周りを通って後ろへと伸びた。ボナビランクスで調整をかけなかったら僕たちまで呑みこまれていたところだ。
山本が驚いた目でアレを見ている。
僕は彼を残して駆け出した。これではっきりした。アレは僕たちのことなど意に介していないというわけだ。
後ろで呼びとめる声がするが構っていられない。僕はピアスのビリアルを発動させて自身に付与する。いつもはジーラとイグニを付けているが、アレがこの近くにいると聞いてからはビリアルとスクタム、それからボナビランクスを付けるようにしていた。
なぜならアレは、塔の卒業生であるからだ。
僕はスライディング気味にアレの足元に滑り込もうとしたが、あっさりとアレは後退する。僕はすぐさま体勢を立て直して追撃を掛ける。
僕の左拳が届く前に、アレがサフォケイトを開いた。がきん、と展開された壁と僕の拳がぶつかる。
「やぁ、ひさしぶり。元気そうでなにより」
「やぁ、ひさしぶり。目を噛んで死ね」
壁越しにアレが笑うので、僕もにこりと笑って返した。そのまま話の続きのようにアレはイグニを放つ。魔法の発動を察知して僕のピアスにあるボナビランクスが発動した。遅れたのか、相殺しきれなかったのか、髪の毛の端が少し焦げた。
僕は。
この目の前の存在を捕まえるも足止めるもなかった。
僕はこの存在を許すことが出来ない。
アレの魔法が僕に届くことは無いと知っているので、僕は炎を無視して消失した壁の向こうへ踏み出そうとして、
「どいてくれ」
横合いから静かな声が聞こえて、僕は踏みとどまった。
アレの視線が横へ流れ、割って入った黒から逃れるように横へと飛んだ。
「春兎!領域を解け!」
「だめだ春兎!」
僕とアレの間に入ってきた人物が春兎へ飛ばした指示を僕はすかさず止めた。
傍らの僕を彼は訝しげに見たので反論しかけたところで、唐突に抱え上げられて横へ飛ぶ。がつがつ、という音と共に、一瞬前まで僕らがいた場所に土くれが刺さる。
「領域を解かないと俺が領域を開けないのだけど?」
「アレが領域の多重展開を出来ると知っているか、智詩。
今のアレならココを埋め尽くす程度の領域など容易いぞ」
僕を腰に抱えたまま尋ねた智詩に、僕はそう問いかけると、彼は非常に不愉快そうな顔をした。
「また俺に大事なことを言ってなかったのか、とら」
抱えていた僕を下ろすと、智詩は再びアレに向かおうとする。ぶんと腕を振って伸ばしたのは警棒だ。
「僕が援護しよう」
「俺はアレを殺すつもりはないよ」
「…分かっているとも」
冷やかに僕の申し出に返した智詩は、しかし僕の返答に頷いて走り出した。
智詩の警棒をひらひらと紙のように交わし、交わし切れない分はサフォケイトを開いて防いだ。智詩は「殺すつもりはない」と言っていたけれど、あの一撃をまともに受けたときには骨の一本や二本は持って行かれそうである。
別にアレの身体なんぞ僕には興味が無いが、恐れているのは離れた場所にいる山本だ。
「春兎!エウブレウスをくれっ」
智詩とアレの方へ走りだしながら、僕は春兎へ叫んだ。ついでに山本の様子を見たが、やはり今にも飛び出して行きそうな気配をしている。僕は舌打ちをした。
放り投げられたうさぬいをキャッチすると、はー、とため息が聞こえた。
「おいおい、もうちょっと丁寧に扱ってくれねぇか」
「口を閉じろ、エウブレウス。僕は今非常に不愉快なのだよ」
「女の嫉妬はこわいってーぇな」
あひゃひゃとエウブレウスは笑う。僕はもう相手をせずに、智詩とアレの横を並走する。
「ジーラ!ジーラ!」
警棒を逃れようとするアレの退路を塞ぐ。これでかなり制限されるはずだ。
警棒を避けようとした先に着いた地面から、足首まで凍結される。一瞬の停止の隙を智詩の警棒が左から襲いかかった。
サフォケイトも間に合わない、左腕は喪失している、とっさに上げた右腕で警棒を掴む。それが智詩の狙いだった。
はためいた左袖を掴んで引き寄せ、空いた胴に当て身を入れる。更に凍結した氷と一緒に足を蹴り上げて床に叩きつけた。
「!でかし」
「とらっ」
ガッツポーズで駆け寄ろうとした僕の背中を突き飛ばすように、山本の声が響いた。
僕はくる、と振り返ってこちらに走りだした山本へ叫んだ。
「ヴィンクタスペンナ、山本!!」
ぎし、と山本の身体が停止する。
なぜ、と言わんばかりの山本の顔を僕は睨みつけた。彼が来ては困るのだ、まだ。僕にはアレに対してやってやりたいことがあるのだから。
そして再び捕獲しているだろう智詩とアレを振り返って、僕は唖然とした。
智詩の背中が山本と同じように固まっている。一瞬、僕が誤って智詩にまで掛けたのかと思ったが、そうではない。
智詩の下からアレがごそごそと動いて横にずれ、よっこいしょ、とばかりに起きあがっては場違いにも悠々と服についた埃をぱたぱた払っている。
そして横で固まっている智詩に気付きぽんぽんと頭を撫でると、それを合図のようにぐらりと智詩の身体が傾いて倒れた。
サフォケイトを犠牲にして、ヴィンクタスペンナとウェパールを発動させていたのだ。
「またね」
ひらり、と手を振ってアレは最初と全く変わらない笑顔で言う。
"今ではだめだ"という言葉が僕の頭の中に浮かんで、散歩の続きのような足取りで夜闇に消える背中を追いかけることが出来なかった。
(おしらせ:とうとうきました 了)
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