私の記憶の中から引っ張り出してきたもので申し訳ないですが、「言いたいことは一つだけ、後は全てたわごと」というのが灯というキャラクタにしっくりきました。あの、ほら、やたらおしゃべりな子だから。
「ふ、ざ、けるなっっ!!!」
僕は怒りの籠った正拳突きを山本の腹に捩じり込んだ。もちろん先ほどのビリアルはまだ継続中だ。
いくら軽いとは言え僕の体重の乗った、かつ攻撃力増加を付与した拳だ。さすがに山本も腹を抑えた。
しかしそんなことは知ったことではない。
「お前馬鹿なのか?!一体今までの何を見てたんだ?!
僕にその疑問を投げるなっ!僕は否定するっ断固として否定するぞっ!!」
「…灯、お願いだ、頼むよ、話したくないことだってのは分かってる。
けれど教えてくれ、一度きりでいいから、教えてくれないか」
泣きそうに見える山本が僕の肩に触れようとするから、僕は思い切りその手を振り払った。
僕は首を振る。
「一度きり?!一度きりだと?!
お前に僕の、その一度の何が分かるって言うんだ!話したくないどころの問題じゃないんだよっ!!」
拳を握って振り上げたものの、どこに落とすべきなのか分からなくて虚空を割いた。
それでも胸にあるこの衝動を散らすことが出来なくて、僕はスカートの裾を引き裂かんばかりに握りしめた。
「お前は何にも変わっちゃいない、分かってない、考えたことはあるのか…っ!?
考えてみろよ、"何故ここに幾寅がいないのか"!!」
僕が怒鳴りながら発した言葉に、山本は眉を寄せた。
分かってはいないだろう。本人"たち"に自覚は無いのだ。ただあいつばかりが考え過ぎて迷い過ぎて知り過ぎて、勝手に出した結論なのだから。
それはいい、勝手にしてくれ。しかし、僕の存在を揺らさないでくれよ。
「気付いてくれ…、いくら千空や紗希が追いかけたところであいつは戻ってきやしないんだよ…!」
「…それは、もうとらが"いない"から、か?」
どこまでもあいつの側から話しかける山本に、僕はきっと顔を上げて叫んだ。
「あいつが"市岐幾寅"であることに見切りをつけたからだっ!!
あいつは"ここ"を捨てたんだよっ!!自分から選びやがったんだよっ!!
気付けよっ!!お前らが"当て嵌めてきた"人間はもう」
…続く言葉は僕の口を覆う白い掌に吸い込まれてしまった。
見上げれば、青ざめた先の顔があった。「……何故ここに」
「……春兎くんから、携帯にメールが入って…いくちゃんがいる、て…」
言うから、と紗希の唇が空振る。よろめくように僕から離れようとする手を、僕は必死に掴んだ。
明らかに僕らの話を聞いていた結果の様子だ。
僕は焦った。彼女を傷つける"つもり"なんてこれっぽっちも無かったのだ。
さっきの智詩の気持ちがよく分かった。
「さき、さき、ごめん、そうじゃない、そうじゃないんだ」
何がそうではないのかなんて、僕にも分からなかった。"そうでないこと"なんて、僕の話には一切無かったのだから。
どうしよう、僕が泣きそうだ。
「そうだ、紗希、もう止めよう、いいじゃないか、あいつなんて要らないだろう、僕がいる。
僕があいつの記憶を持っていることは知っているだろう?君とあいつとの出来事も全て持っているんだ。聞いて驚いてくれ、僕はあいつの思考も持っているよ、あいつがどんなことを考えていたのか、どんな反応をするのか、僕は全て"分かって"いるよ、"同じ"なんだもの、君があいつの傍を望むなら僕がいる、僕がいるよ、紗希…っ!」
泣き出しそうな衝動を必死で抑えたスマイルを浮かべて、僕は紗希に提案してみた。
紗希は困ったように黙って僕を見下ろす。ああこの目も、僕は知っているのだよ。僕だってこんなことを言いたくなかった。
それは拒否だ。
「…だったら」
僕は僕であり、あいつでもある。
「…僕を認めてくれよ…」
それでは…駄目なのだ。
僕は僕だけであるから、僕なのだ。
僕は眼帯を握り締めながら蹲った。鼻水が出て来たのだ。
鼻をすする音の間に、遠くの喧騒がささやかに滑り込む。永い時間が過ぎると思った。
「…君は」
その僕の予想を裏切ったのは、ぽんと頭に乗せられた暖かで軽い感触。
顔を上げると春兎の淡々とした表情が僕を見下ろしていた。
「僕と最初に出会ったとき、名前を教えてくれなかったね」
あの浅草寺の裏側で、確かに僕は春兎に自分の名前を答えなかった。名前は理だ。うかつに人に教えてはいけないという意識はあった。
あったが、果たしてそれだけだったろうか。
「君の名前は?」
名前の約束は同じ一族の端くれである春兎も知っているはずだ。だからこのたった7音の問いかけの重さも、やはり知っているはずだ。
「僕は灯だ」
答えた声は十分に泣き声であったが。
春兎は頷く。少し、その淡白な表情が笑ったように見えた。
「うん、分かった。
君は灯だね」
僕は泣きそうだ。
もう泣いているだろうというツッコミは受けない。
「……あいつは消えたわけじゃない。あいつは今でも"アレ"の中にいるよ。
アレの…かつて君たちが"育斗"と呼んだものの中にね」
やがて鼻水を拭って(涙など無い)僕は紗希と山本に告げた。
僕が理性を持って言えるのはここまでだ。これ以上は言えない。僕は怖いのだ。
物理的に身体を破壊されることや、精神的に圧力を掛けられて脅迫されるよりも何よりも、僕は僕自身が『誰』であるのかを迷ってしまうことが、一番怖いのだ。
"同じ"であるはずのあいつは決められたというのに。
"だから"、僕とあいつは違うのだと…そんな理由にはしたくない。
「嘘はいただけねぇなぁ、嬢ちゃん」
疲れきって部屋に戻った僕に、エウブレウスはいつものふざけた声では無い音で僕に言った。
外した眼帯をベッドサイドのチェストに置きながら、僕は返す。
「僕は嘘は言わない」
「とらはこの世界を捨てたわけじゃねぇってことは、灯は知っているだろう?」
「知っているとも。だが、2つあるものの1つを選ぶということは1つを捨てるということだ。
たとえ本人にその気持ちが無くても、残された世界はそう思うのだよ」
「捨てたありきでの発言は意味が違ってくるんじゃねぇか?」
「無駄に期待を残しておいて何になるというのだね?僕はあいつなど知らない。
紗希や千空が悲しむことがないように努力するだけだ」
いっそあいつが捨てられてしまえばいいのだ。
腹が立ってしょうがない。あいつと僕たちの見る"真実"の落差が大きすぎるんだ。
あいつは自分から選んだ。ここではなく、あの虚構の塔を。
そうして何一つ、絶望などしていないのだ。希望さえ持っているのだ。
過去も現在も未来も、この世界も扉を挟んだ向こうの世界にも。
…一人であることにも。
「……」
鏡の前に一つ目の女の子が映っている。この頭に触れた手は暖かだった。
「……なぜ…」
「うん?」
思わず零れた僕の声をエウブレウスが拾った。だが、僕は小さく頭を振ってその追求を逃れた。
…なぜ、あいつは一人を越えられたのだろう。
その理由は知っている、その経緯は知っている。しかし、僕には解せなかった。こんなにも共有するモノを持たせておきながら、どうしてあいつにはあって僕には無いものが存在するのだろう。
「…お前が見た青が、僕にも青と見えるとは限らないからか?」
"だから"、僕とあいつは違うのだと…そんな理由にはしたくない。
したくないのだ。
(かなしいうそをつきましょう 了)
灯さんは「幾寅から遠慮と配慮と迷走を意図的に取り除いてみた」な子です。本当は持ちあわせているけれど差をつけるために自分で意図的に殺している子です。
なので、これ以上ぐだぐだと考えているよりは無理やりにでも歩きだそうとする子ですb
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