067.凍える闇を越えて
「ソテンティアを辞めれば、校則に縛られることなくやりあえると思ったんだよ。
そしたら俺ももっと色んな形でお前のこと支援できるだろ?」
「へ?」
翌朝、再び町に戻る途中で、俺はトムにそう答えた。
「あぁ、昨日のか。ていうかお前、口調どうした口調」
「めんどくさくなった。だってもう気取る必要もないじゃない…」
あれだけ暴露されてしまえばこの後に気取るなど痛いだけである。
あぁそうね、と同じ心境になってくれたのか、トムも微妙な表情で同意してくれた。
「今の状況では制限されることがたくさんあって、相手に召還の隙を与えてしまいかねない。撃退するなら相手の反撃をさせないくらいの追撃で倒したいんだ」
「できるのか?今、それが」
「出来るも何も」
トムの肩の上で手をひらひらさせながら俺は答えた。
「修復前提で話しが始まっちゃったから考慮の必要がなくなっちゃったよ」
「なるほどね」
くく、とトムは喉の奥で笑った。
「さって、そしたらどうしましょうかねぇ」
歩きながら町の地図を広げる。
町の形は卵のような形をしていて、港は円の大きい部分をちょっと齧ったように凹んだところにある。そこが下町となっていて、細い方へ向かうほど高級住宅街となり、頂点には町の統括者の屋敷がある造りとなっていた。
検索したところあの商人がいるのはその下町より少し上がった部分辺りにあった。完全な上の人間でも無いらしい。
「………」
「どうした?」
「いや」
俺は卵の頭部分のあたりを眺めて考えた。
『お前が向かっていた行き先は覚えているんだろうな?』
今さらだけれど、あの商人から聞いていたことにこの町と言う以上の情報は無かった。貿易の盛んな町だから、ここからどこかに売り飛ばされるのだとばかり考えていたが、それにしては妙な言い回しである。まるでこの町が終着点のようだ。
もう少し、あの兄妹にこの町の情報を聞いておけばよかったなとやはり今さら考えてしまった。
「下町の方は道も入り組んでるから、上手く追い込めば袋小路にも出来るぞ」
「待て待て、まずはその暗殺者をどう始末するところから明確にしていこう。方法はそれからだ」
「お前が始末って言うとホントに始末しそうなんだけど、殺しはしないんだよな?」
「当然だろ」
真面目な顔で大介がトムに聞くものだから、トムは呆れ顔で彼に返した。
だよな、と納得したように大介が頷くのを見て、俺は切り出した。
「俺が"友愛"の二人から頼まれたことは、標的の大海への接触権限の完全削除だけだから、その後煮ようが焼こうが俺的にはどうしても構わないよ」
「一度は衝突を避けようとした奴の言葉とは思えねぇ変化っぷりだな」
「建前的には"殺さず生かして好きにして"と言った方がよいのかな?」
「語呂がいい分酷かったです」
定番となって来た大介との軽口のやりとりをしてメンバーの顔を見まわす。
「僕は…トムさんにちょっかい出さないでってことを分かってもらえればいいなと思うの」
「もういい大人だそうだからな、言葉で伝えても芯まで届かんだろう。
カイトの優しいメッセージをぜひとも芯まで伝えなければならないな」
「言葉の暴力って見えない怖さだなぁ」
カイトの言葉をキールが大人の言葉に変換してくれたので、その手段が大変よく分かった俺は思わず感想を述べてしまった。
当のトムを見やると、彼は地図に目を落としながら腕を組んでいた。
「無効力化するってのは必須だろうな。その上でどうするかは、向こうの出方次第になると思う」
「暗殺者を無効力化すると?言葉にするよりずっと難しそうだぞ。
大体、怨恨の線であるならば、どんなに手段を奪ったところで形が無くなるまでお前に向かってくるだろうよ」
「………」
俺が突っ込むとトムは押し黙った。
しかしそれも束の間、軽く頭を振ってトムは俺を真っ直ぐ見た。
「今回だけでいい」
「あ?」
「今回だけでいいんだよ。次のことは次に考える」
「それは、初めに俺が言ったソレンティアに戻るってのとどう違うんだよ」
「今ここで策を講じるか講じないかだろ。
今ここで迎撃をする必要はある。だから」
す、とトムが俺の前に手の平をかざした。
「契約してくれないか、"彷徨える案内人"。力を貸してくれ」
俺はその物言いに酷く不愉快な顔をした。
ぺちん、とトムの指先を叩いて、彼を睨む。
「友人に手を貸すだけにいちいち契約が必要なのかね、君は」
既に"友愛"から相手の処遇については依頼を受けている。その範囲内であるトムの申し出には改めての契約など不要だ。
俺がにやりと笑うと、「ねぇな」とトムはへらりと笑うのだった。
再び夜。
見下ろすのは閑静な住宅街、卵の頭の部分の街並みだ。
白い壁が立ち並び、比較的広い道を歩く男がいる。黒髪で痩身の長躯だ。一見雑踏に紛れてしまいそうな顔立ちや雰囲気や、服装も動きやすそうなさっぱりしたものだが…
歩き方一つにしても無駄が無い。少し右に重心が傾いているのはそちら側に"何か"あるからだろう。
正直戦闘に関しては全く分からない俺だけれども、前情報があるとこれだけのことを(勝手に)想像できる。
「奴だ」と、どうせ下には届かないだろうけれど小さく大介に耳打ちすると、大介が静かに右手を上げて、振り下ろした。
瞬間、横手を黒い影がよぎった。
だん、と黒髪の男の目の前に黒と金色が落ちる。そのまま立ち上がる勢いで男に一閃をかます、が、落ちて来た瞬間、いやそれよりも一瞬前に後方へ動いていた男は難なくキールの攻撃をかわすと、そのまま逃走する!
すかさずキールが空を切るように超機動力を駆使して男を追跡していくのが見えた。生身の人間とセリアンの機動力の1、2を争う蝙蝠型では勝負は明白だ。しかし決定打は掛けない。
この間の追手と同様のことをする。
「行くぞ」
大介は短く合図して走り出した。遠くで軽い銃弾の音がする。トムが銃弾で牛追いよろしく男の行く先を操作しているのだろう。
上手く誘導してくれるといい。
と、不意に鼓膜が圧迫されるような感覚が襲った。空気が波立ったような…
「…呼んだのか?」
「呼んだな」
「……呼ばせちまってよかったのか…?」
「よくは無いな」
おい、と突っ込む大介に、「予想の範囲内だ」と返したら「最初に言っておけ」と言われた。ごもっともだ。
呼び出せると分かっていて呼び出さない理由が無い。あのくらいの召還獣であれば本人に不都合になることがないのだから。
「行こう、俺が返す」
「頼むぜ」
大介の肩にしがみつくと、ぐん、と後ろに引っ張られる感覚がして彼が走り出した。大介の足元に赤い燐光がまとわりついているから、おそらく身体強化を掛けて脚力を強化しているのだろう。
少し離れた区画で、ぱ、と青白い光が瞬いた。「あそこだ」
とんとん、と屋根伝いに大介が飛んでいくと、つい先日追手を撃退させた公園に見覚えのある黒い巨躯が見えた。そして赤毛と、その後ろにいる銀髪と。
「トム!野郎はどうした?!」
「今キールが追ってる!予定に変わりは無ぇ!」
ずしゃ、とトムの隣に降り立った大介が声を掛けると、トムは立て続けに黒い狼に向かって打ち込んだ。トムがここにいるのは、この狼が彼を追いかけるからだろう。こいつを連れて町を疾走するわけにはいかない。
足止めには持って来いということだ。
黒い狼はいつかのように姿が揺らめいていて、夜のせいもあってその輪郭は非常に曖昧だった。だが、中途半端であるのは、好都合だ。
「ブラックマン、こいつは返しておくから、君は野郎を追いたまえ」
「時間掛かるんだろ?」
「かかんねぇよ。カイト、君も一緒に行きなさい」
「は、はいぃ…っ」
「俺も行っていいか?」
「あ、大介は残って俺の足が無くなっちゃう!」
ひし、と大介の頭にしがみついてみると、「見えんっ」と引っぺがされた。
トムが確認するように俺を見た。その彼に「任せろ」とぐ、と拳を突き出すと、小さく笑ってトムは暗い路地に駆けて行った。その後をカイトも追う。
その場を離れたトムに反応して動こうとする狼を即座に定義、確定した。
「回帰せよ」
至極当然のように、黒い巨躯が溶けて消えた。
「よし、俺たちも急ごう、大介!」
「…いやいやいや待て待てこらっ」
ぐ、と爽やかに促してみたら思いがけず鷲掴まれたので、俺はぶーたれてみた。「なんだよー」
「なんだよーじゃねぇよこっちがなんだよ今の?!この間の何分の一の短さだよ?!
この間の時間は一体何だったんだ?!」
「処理の違いだろー。この間は一回処理の権限を向こうから奪って最後まで完成させる必要があったから多少時間掛かったけど、今のは単に処理が途中なのを初期化しただけだよ。権限の剥奪についてはこの間使った処理の使い回しすればいいしさ」
「ていうか狼の状態はこの間と同じだったじゃねぇか!この間も同じことすればすげぇ短時間で解決したんじゃねぇの?!」
「いくら俺だって人の呼んだもんを勝手に返すなんてほいほいできねぇっての。今回は"友愛"の依頼の下で動いてるから出来るんであって」
「これだから賢人はっっ出来るのに出来ないとかっっ」
それだけの権限があるために制御する基準が無いと大変なのことになるのだから、仕方ないことである。
大介は解せないとばかりに俺を睨んでいたが、すぐに時間の無駄であることを悟ったらしく短く毒づいてトムたちの後を追おうと駆け出して、「っ?!」
「!ぉ、い…っ?!」
大介の肩から滑り落ちた俺を、大介は驚異的な反射で中空で掴んだ。「大丈夫か?!」
大介が声を掛けてくれるのだが、唐突に襲われた衝撃のような目眩に視点が定まらない。なんだ、なにがあった、何をされた?!
「おい、とらっ!とらっ!」
「だ………ぃじょうぶだ、から」
身体を叩くな、とわっしと大介の指先を掴んで見上げた。衝撃が収まって揺れる視界が像を結ぶ。
ホッとした表情の大介が見えた。
「どうした?術の反動とかじゃねぇよな?」
「そんな重い処理ではないよ。なんだろう、ちょっと…分からないけど…」
「行けそうか?」
「もちろんだとも」
大介の問いかけに俺はしっかりと頷いた。よし、と大介も頷いて、トムの後を追って走り出した。
ちょうど、下町の港の方面で赤い信号弾が夜空に昇った。
気のせいか、唐突なあの衝撃は、後方から降りかかって来たように感じられた。
しかし振り返っても何かがあるわけではなく、遠く卵のてっぺんの高台にこの町の統括者の屋敷が淡く照らし出されているだけだった。
港に使われていない廃倉庫がある。今夜の最終目的地はそこだった。
大介と俺が到着すると、中はルメンナールの灯に煌々と照らされ、その下で…もう一度見覚えのある揺らいだ黒い巨躯が見えた。
「何度呼び出す気だあの野郎は…」
しかも一度も成功しやしねえ。
エグイとかなんとか言ったが、これは完全削除されて然りだと俺は決意した。
大丈夫だ。別に死にゃしない。世の中に流通している一般的な魔法具も含めて魔法に関するものが全て利用できなくなるので多少不便がある程度だ。
狼に警戒しながら中に入ると、その向こうでは黒髪の狙撃手とトムが撃ちあっているのが見えた。なかなか複雑な戦況を呈しているようだ。
「カイト!」
端の方に退避していたカイトを見つけて駆け寄ると、ぱっと顔を輝かせてカイトがこちらを振り返った。
「よかった、無事だったの!」
「キールは?!」
「あそこ!」
カイトが指差したのは狼の頭部、振り仰げばちょうど狼の獰猛な牙をかわした黒と金の影が見えた。トムに攻撃したい狼は、キールに阻まれているようだ。
「おい、あいつはさっきみたいに消せるのか?」
「無論」
「じゃあ任せた。俺はトムの方へ向かう」
ぽい、と俺をカイトの方に投げて、大介は奥へと走って行った。カイトは慌てて俺をキャッチするといつも見ているように肩へと持って行く。
トムや大介のように広くない肩は安定しなかったので、俺は自然とカイトの頭にしがみつく恰好になった。ちょっと怖い。
「とら、あの狼さんを消せるの??」
「おぅ、消せるとも、見てろよー」
授業参観のような空気で、俺は先ほどと同じ手順で宣言をする。そして全く同じように消えた狼に、中空のキールがきょとんとした顔をした。
すごいすごーい、と喜ぶカイトになんとなく胸を逸らしていると、奥の黒髪が突然消えた狼に驚いた顔で振り返った。
その隙をトムが逃すはずがない。
連続でトムの双頭の鷲が唸る。黒髪が転がるようにして物陰に退避した。そしてトムの元へ大介が滑り込んだ。
「妙な真似をしてくれたなちびすけ」
「それ味方が言う言葉か??」
ばさりと羽音を立てて降りて来たキールが怪訝そうな顔で俺に声を掛けた。
キールは俺のリアクションには反応せず、奥の方を見やった。物陰に隠れた黒髪の野郎とトムたちは一時硬直状態になっているらしい。
「そこの黒髪の!大人しく投降したまえよ、君1人と4人では分が悪い上に逃げ場はないぞ」
「誰だ」
物陰が喋った。短い問いかけに隠す必要も無いと思い、素直に返答する。「"彷徨える案内人"」
そして次に奴が言い放った言葉を、俺は聞き逃さなかった。
「ナレハテか」
聞き逃すわけが無かった。
「よーしよしよしいい子だそこを動くなよ一歩たりとも動くなよお前の存在と痕跡を根こそぎ削除してやる」
「おいおいどうしたちびす」
け、と。
突然いきり立った俺にキールが突っ込みを入れかけた瞬間、酷い耳鳴りが空間を埋め尽くした。
「っな゛?!」
まるで建てつけの悪く錆切った重い扉を開けるような振動と不協音と、そう、まさに無理矢理空間をねじ開けて、"それ"は姿を現した。
小振りながら、聡明な光を湛えた青い双眸を持つ頭部、その頭頂部から流れる青い岩にも似た立て髪は、優美な背骨に沿ってしなやかな尾にまで並んでいる。キールの翼によく似た形の両翼は、しかしキールのそれとは異なって半透明の翼をルメンナールの光に煌めかせている。
曲線を描く鳥のような身体は立て髪と同じ色の鱗に覆われ、華奢にも見える両足には、裏腹に獰猛な鉤爪を持っていた。
誰かが呟く。
「…竜…」
立て続けに撃ち込まれる銃声が後ろから響いた。続いて仲間の毒づく声が聞こえ、は、と振り返ろうとしたら今度は目の前の竜が咆哮を上げる。
「カイト、アウラ展開!」
「うう上手く行くか分からないの!」
「大丈夫だから展開!」
再度促すと、カイトは悲鳴のような返事を返して防御障壁のアウラを展開した。
金色のドーム型の壁が出来るのと、竜の青白い吐息が振りかかるのはほぼ同時だった。
「す、すごいすごいっ 僕展開できたのっ」
「おぅ、おめっとう」
青い燐光を閃かせながら竜の"吐息"を飲みこんだ障壁を前にカイトが歓喜する。
あ、どうしようこれ、俺が大海とカイトを中継して精度の向上と効果の増大をしましたといつの時点でバラせばいいんだろうかと頭の片隅でちょっと考える。
賢人は魔法を使えない。大海や仮本を直接操作できるから、魔法と言う媒介を使う必要が無いのだ。操作するときに組み上げる文字式が魔法と言えば魔法になるのだろう。
突如現れた竜は見事に自分の"吐息"が防がれたことに僅かに首を引いた。そして、…目を細めて笑った?
「旨そうな奴が出て来たじゃないか」
ばさりと横手で羽を広げる音がして、すぐに黒い影が直線となって飛び上がった。「キール!」
一瞬後に竜の頭部付近まで飛び上がった影は、凄絶な笑みを浮かべて鋭く伸びた爪を青い瞳に向かって振りかざし、しかし、ぱぱ、とキールと竜の間の空間が揺れ、次の瞬間、澄んだ鈴のような音と共に閃光が走る!
小さく舌打ちし、キールは中空で身を翻して退避した。
先ほどの"吐息"と言い、今の閃光と言い、賢人と同様に竜は魔法を介せず直接大海から力を引き込んで具現化する。いつぞや「あれって反則だよねー」などと全く自分たちを棚に上げた発言を"皇帝"が呟いていたのを思い出した。うん、立派に反則だった。
「と、とら、あれはさっきみたいに消せないの?!」
「無理だ、あれは異形でも召還獣でもない、"確固たる意志を持った精神体"だよ」
うぇ、と言葉に詰まったカイトに「つまり、"個人"だ」と答えた。
個人は賢人でも勝手に消すことはできないなぁ。困った。
「カイト、君は何が出来る?」
「え?」
「何の魔法の権限を持っている?」
「え、ええとー… み、緑魔法と、白魔法!」
「全部??」
「成功は低いけど、大体全部持ってるの!」
………それはいわゆる優秀に入るのではないだろうか。成功率はともかくとして。
種類は違うが間違いなく大介とトムより魔法に秀でたエルフの少年を見つめて、俺は提案した。
「連続魔法を組み上げよう、カイト。俺が構成式を教えるから」
「で、出来るの…?!」
「既に持っている権限の魔法を一つの式に組み込んで行くだけだよ。魔法式の構成を知っていれば後は発動の引き金だけちょちょいっと入れてけばいいだけだ」
「そのちょちょいってのが不安なのーっ」
ちょちょいはちょちょい以上でも以下でもないので他に言いようがない。
大丈夫大丈夫、とカイトの銀髪を撫でて俺はカイトに構成式の構図を指示した。
組み込む魔法式はセトラ、アウラ、ビリアル、ヴィンクタスペンナの順で4種。
「キール!」
カイトが構成式を組んでいる間に、俺は上空のキールを呼んだ。
がちん、と鈍い響きを響かせて竜が黒い影を食いちぎり損ねた。
「今から君に状態補助の魔法を掛けて行く!合図をしたら竜の核を攻撃してくれ!」
「どこだそれは!」
「目!」
俺が叫ぶとキールは軽く片手を挙げて了解を示した。
そして奥にちらりと視線をやると、黒髪の男と大介がぶつかっているのが見えた。少し距離を置いたところでトムが鋭い眼差しで狙いを定めている。
せめて向こうの戦況に影響を及ぼさない程度に、この竜を足止めしたいところだ。
「とら、組めたの!」
カイトの声に振り返れば、少年の胸の前に整然と並んだ美しい構成式が青い燐光を放って浮かんでいる。完璧だ。これで発動の成功率が低いというのだから不思議である。
「よし、じゃあ定義の順次実行、ビリアルとヴィンクタスペンナは間を空けずにね」
「了解なの!」
「キール!」
俺がキールに合図を掛けると、同時にカイトがセトラを付与した。竜の物理攻撃と反則技の波状攻撃に距離を置いていたらしいキールは、合図とともに一気に青い2つの光を目指して急降下した。その速さと言ったら。
ぱぱ、と落ちてくる影と竜の間に再び揺らぎが生じる。「カイト!」
「アウラ!」
「突っ込めキール!」
俺とカイトが同時に叫んで、キールの周りに金色の膜が張る。
元よりキールは躊躇いが無く落ちて行く速度は落ちない、澄んだ鈴の音が響いてキールに向かって閃光が閃き、金色の膜が光を飲みこみ―切れずにキールの右肩を焼いた、が、
「カイト!」
「ビリアル!ヴィンクタスペンナ!」
獰猛な光を失わないオッドアイを確認して、最後の構成式を発動させる。
ビリアルがキールに付与され、ヴィンクタスペンナで竜の動きを止めようとした。「あっ」
が、一瞬早く、竜の硬い瞼が閉じられた。遅かった!
「旨そうだな」
しかしキールは期待に満ちた眼差しで舌なめずりして…「キ、イぃいいいいいっっっ!!!」
がっしと頭部にしがみついたと思ったら、くわりと顎を開いて、以降は教育的指導により暈しが掛かりそうな状況が上空で起こっていた。思わず俺とカイトは叫び声を上げて抱き締めあってしまったよ。
そしてまさか味方に予想の斜め上を行く攻撃を行われると思っていなかった俺は、完全に片目を破壊したキールがもう片方に飛び移る、その前に、竜の翼が微かに振動していたことに完全に気付くのが遅れた。
「っしま、」
瞬間、押し潰されそうな風圧が竜から放たれた。
咄嗟に無理矢理な構成式でカイトが自身と俺を範囲にアウラを展開したが、相殺しきれなかった猛烈な風に二人とも吹っ飛ばされた。
カイトの肩から吹っ飛ばされ、硬い床に叩きつけられる、と、「ぉ、っとぉっ?!」
ずべしゃぁ、と昨日の夜に聞いたのと同じような音と共に、柔らかい感触に包まれた。
「おんやぁ~??これまた小さい方がいたもんですねぃ!」
見上げれば。
竜の衝撃波でほとんど吹き飛ばされた廃倉庫の壁を背景に、にんまりと笑うセミロングで黒髪の牛のセリアンの少女が俺を見下ろしていた。
「あんらまっ、信号弾を頼りに来てみれば、みなさんとその他1匹さんお揃いでっ」
「牡丹!」
誰かが少女の名前を叫んだ。警告か、同時に竜の尻尾が鞭のようにしなって彼女を叩き潰しに掛かる。
牡丹と呼ばれた少女は軽々とその尻尾を回避し、俺を掴んだまま立ち上がりかけたカイトの方へ走った。
「大丈夫ですかねぃ??」
「あ、ありがとボンちゃん…っ」
牡丹は走った勢いを殺さずそのままひょい、とカイトを担ぎ上げ、次に地上に降りて来たキールの方へ駆けた。
「牡丹か、丁度いいところに来たな」
「ヒーローは遅れてなんぼですよぅ!」
「出来れば最初からいて欲しかったぞ」
「んもぅきいちゃんったらっ!こんなところで告白ですかぃっ」
恥ずかしいですよぅっ、なんて言って牡丹はキールの背中をばしんと叩いた。驚いたことに、あのキールがその衝撃でよろめいた。
「だいじょうぶだった、とら?」
「うん、…」
牡丹から降ろされたカイトに返事を返して、俺は彼女が肩から腰に下げているそれを見た。
異様な空気を放つそれを、俺はどこかで見ているような気がした。ていうかおもっくそ見覚えがある。
まさか、と持ち主の少女を見ると、彼女はさっきのにんまりした笑顔を見せて、俺をカイトの方に渡した。
「ちょっとこっちに居ててくださいねぃ☆」
「ま、ちょ、あんたそれ…っ」
俺が確認しようとする間も与えず、牡丹は竜に向かって疾走した。続いてキールも再び上空に飛び上がる。
再び竜の透明な翼が振動する。それにカイトも気付いたのか、素早くアウラを展開したので、俺がそれを補強した。
キールも自衛でアウラを展開したようだ。しかし、
「ボンちゃん!」
先ほどの予兆を知らない牡丹はそのまま竜の足元へ走り込む。
竜の周囲から衝撃が走った!
「ぃょいさぁっっ」
衝撃を構わず牡丹は腰の大剣というには巨大過ぎる剣の柄に手を掛け、抜き払い様に竜の右足を切り落とした。
竜の青い隻眼に衝撃が走ったのを見逃さなかった。
竜の衝撃など、その大剣には効かない。
片足を失った竜の右側からキールが飛びかかり、大介と同様に部分強化で淡く光る両腕で竜の透明な翼を引き裂いた。竜が咆哮を上げる。
「退け!」
後方から飛んで来たトムの声と同時に、青白い"吐息"が周囲を舐める。
俺とカイトはアウラの障壁の内側に、キールは竜から少し離れた上空に、牡丹は、と確認しようとしたところで、引き裂かれた竜の翼が爆砕した。
は、と振り向けば、後方で双頭の鷲を構えたトムがこちらを見てにやりと笑った。その隣から、大介が剣を下げて竜に向かって走り出す。
竜に目を戻せば、トムのイグニ弾を受けてバランスを崩した身体が音を立てて横倒しになった。その足元からひょっこりと、"吐息"をやり過ごしていた牡丹が出てきて、大剣の重さなどものともしないような軽やかさで尻尾に飛び移り、そこから背中を駆け上がる。
「縫いつけてくれ!」
疾走しながら大介が叫んだ。
元気よく牡丹が答え、竜の背中から跳躍する。あの剣を背負って!
大剣の切っ先を下に向けて牡丹が翼向かって直下する。身体の周りに青い燐光が瞬いているのは、彼女がクアリネジメントを発動しているからだ。重力付与、あの剣の重さと加わってその重さは計り知れない。
牡丹の大剣が翼を貫通し、下の床に突きたった。
竜の首がしなって、向かってくる黒い影に牙を剥く。まるで曲芸のようにその牙をターンで回避し、キールの牙が竜の首に突き立った。そのままキールは床に首を抑え込む。
大介が追いつく。
竜が吼え、その暗い口腔に青い光が収束する。
が、
「終わりだっ」
掻き消えた自分の"吐息"に驚愕する竜の隻眼を、大介の剣が一閃した。
ぱきん、と空間そのものが割れたような高い音を響かせて、竜の身体が"砕けた"。そして地面に落ちる前に煌めいて消える。
大介の剣が閃く一瞬、竜の目が私を見た。
そう何度も発動されてたまるかというものだ。
「いやぁびっくりですよぅ!帰って来てみたらお宿が焼けてるんですものっ」
たったらと剣を収めて駆け寄って来た牡丹が開口一番にそう言った。
最後の一人はこの少女だったのか。
「すまんな、ひと段落したら連絡しようと思ってたんだわ。不用意に連絡して巻き込むのも嫌だったしさ」
「そのままソレンティアに帰るかとも思ってたし」
「そんなっみなさんを置いて帰るなんてしませんよぅっ大ちゃんっ」
「連絡も無しに姿を消す奴が何言ってやがる」
ごもっとも☆テヘペロ☆と舌を出して笑う牡丹をまじまじと見て、改めてこの少女だったのかと俺は思った。
牡丹の持っているその大剣、実は賢人の一人が対竜用として作ったものだった。竜の物理攻撃以外の全ての攻撃を無効化するという、竜以上に反則技を起用した無茶苦茶な武器を作成した賢人の中の賢人、"賢老"の二つ名を持つ少女の姿をした金髪の機精は、唯一つ、しかして重大な過ちを犯した。
あまりに膨大かつ複雑な構成式を持つその剣を前に、彼女はハッキリと言い切ったのだ。「重すぎて使えないわねっ」
誰が見ても当然の結果だった。
あんまりな結果だったもので衝撃と共に記憶に残ったその剣が、まさか目の前で小柄で華奢な女の子にぶんぶん振り回されるとは思わなかったんだぜ。
どこをどうやってこの少女の手元に辿りついたのかは"引っ掛けて"みないと分からないが、あるべきところに収まったのだろうと綺麗に結んでみた。
「ところでブラックマン、そちらの用事は済んだのか?」
「あー…」
「いやいや済んでねぇっ!おおおいトムっ!奴はどこだっ俺の用がまだ済んでねぇんだよっ」
はっ、とキールの言葉に思い出した俺はトムの肩に飛び乗って耳を引っ張った。
「うっせーな、わりぃな、逃がしたよ」
「にっ?!」
「落ち着け落ち着け、これで終わりにやさせねぇよ」
そう言って、トムはにやりと笑う。その笑みはいつも彼が浮かべるへらへらとした陽気なものでは無くて。
佇む俺たちを囲むような暗い夜の、底冷えのする様な冷たさを湛えたものだった。
思わず俺が口を噤むと、トムはすぐにいつもの笑顔を浮かべて「さぁさ、とりあえずここを離れようぜ」と軽く手を叩いてみんなの足を促した。
遠くからざわめきが近付きつつあった。
俺は走り去るトムの肩の上から振り返り、原形を留めない廃倉庫を眺めながら考えた。
さて、何故こんなところに竜が現れたのか。
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095.双子たちの再会PR